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神戸地方裁判所 平成6年(ワ)692号 判決 1997年5月26日

原告

甲野太郎

原告

甲野花子

右両名訴訟代理人弁護士

高橋悦夫

永井真介

被告

株式会社東加古川幼児園

右代表者代表取締役

乙田一郎

被告

乙田一郎

被告

乙田雪子

被告

乙田二郎

右四名訴訟代理人弁護士

菊井豊

山田直樹

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、連帯して原告らに対し、各金三一二一万八三八九円及びこれに対する平成六年五月九日から右各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 甲野月子(以下「月子」という。)は、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)を父とし、同甲野花子(以下「原告花子」という。)を母として、昭和四六年五月二九日に生まれ、平成五年四月二九日死亡した。

(二) 被告株式会社東加古川幼児園(以下「被告園」という。)は、東加古川ナースリースクール本園(以下「本園」という。)、東加古川ナースリースクール高畑園(以下「高畑園」という。)、東加古川ナースリースクール二俣園(以下「二俣園」という。)及び東加古川ナースリースクール加古川園(以下「加古川園」という。)の四つの無認可保育所を設置、運営している。

被告乙田一郎(以下「被告一郎」という。)、同乙田雪子(以下「被告雪子」という。)及び同乙田二郎(以下「被告二郎」という。また、右被告三名を併せて「被告三名」という。)は、それぞれ被告園の代表取締役、取締役、社員であり、かつ、それぞれ本園、高畑園、二俣園及び加古川園の理事長、副園長、園長として各園の運営に当たっている。被告一郎と被告雪子は夫婦であり、被告二郎はその二男である。

2  月子の自殺に至る経緯

(一) 月子は、平成四年九月、保母資格を取得し、同年一二月、被告園に採用が決まり、翌年四月から高畑園で勤務することとなった。しかし、その後、二俣園の保母一人が退職したため、平成五年一月六日から同園で勤務し、同年四月から高畑園で勤務することになった。

(二) 二俣園は、いわゆる二歳児クラスで、平成四年四月一日現在で二歳に達した幼児を保育していた。園児数は一八名で、この他に一時保育の幼児一名がいた。保母の数は、月子を含めて二名であり、調理師がいなかったため、その仕事も保母が行っていた。

被告園の定めた二俣園での保母の勤務時間は、早出の場合は、午前七時二〇分から午後五時三〇分まで、遅出の場合は、午前八時三〇分から午後六時までとなっていたが、実際は、早出の保母も遅出の保母も午後六時三〇分ないし七時ころまで仕事していた。

月子は、早出の日は午前六時五五分に家を出て午前七時二〇分より業務を開始し、午後七時頃帰宅し、遅出の日は、午前八時前に家を出て、午前八時三〇分より業務を開始し、午後八時ころ帰宅した。月子の労働時間は、一日、一一時間にも及んだ。また、帰宅後も翌日の保育の準備や調理の準備等の仕事を行っていた。

(三) 同年二月七日、月子は被告二郎及び被告雪子から、同年三月三一日付けで高畑園の主任保母を含む保母六名全員が退職すること、高畑園は三歳児から五歳児までの一五〇名程度の幼児が保育され、五クラスに分けられているが、同年四月から保育経験のない新任保母五名がクラス担任をすること、月子が高畑園の主任保母と新しく導入するコンピューターを利用した業務を担当する旨言い渡された。月子は右業務に不安を持ち、翌日被告雪子に対し断ったが、被告雪子は決定事項だと突っぱねたため、月子は一旦退職も考えたが、気を取り直し、四月から前記業務を行うこととした。

(四) この後は、二俣園での業務に加え、四月からの高畑園での業務に備える作業を強いられることとなり、月子は帰宅後、夜一一時ないし一二時ころまで仕事をするようになった。また日曜保育やその他の業務のため、同年二、三月には、日曜日も殆ど出勤する状態であった。

また、高畑園での実地訓練を伴う実質的な引継ぎは、同年三月二九日から僅か三日間であったが、同日、月子は被告二郎から、園児のバス送迎の時刻表作成を命じられた。

(五) 以上のような状況の中で、月子は、平成五年二月ころから業務遂行に不安を持ち、退職も考えるようになり、体重も減り始めた。同年三月末には、不可能な業務と責任感の間で思い悩み、非常に疲れ切った状態になり、まともに仕事ができる状態ではなかった。体重は、就職した平成五年一月一日よりも約六キログラムも減少していた。同年三月三〇日には、深夜まで仕事を行った後、ぐったりした状態で帰宅し、その夜はほとんど眠れず、翌三一日、入院した。医師の診断によれば、月子の症状は、精神的ストレスが起こす心身症的疾患とされている。この入院により、月子は同日被告園を退職することになった。

(六) 月子は、翌四月一日、退院し、自宅療養するようになったが、相変わらず、疲れている様子であった。その後、元気を取り戻し始め、新しい保育園探しを始めるようになったが、この間も、被告園に残してきた園児、保母への心配りや自責の念を常に口にしており、未だ不安定な状態にあった。

月子は、同月中旬ころ、被告園を訪れ、給料の未払分を受領したが、その際、同園からもう一度働くよう引き止められた。

(七) 月子は、同月二七日、離職票を受領するため、被告園を訪れた。月子は、同園において、被告雪子から、離職票を職業安定所に持参しても雇用保険は出ない旨を言われると共に、再度、被告園において働くように引き止められた。

月子は、帰宅後、食事中、口を利くこともなく、部屋に籠もってしまい、同月二九日、原告ら家族への遺書を残して、縊首の方法により自殺した。

3  被告園における保母の業務の過酷さ

(一) 二俣園は、二歳児クラスで、園児数が一時保育園児一名を加えて一九名であったのに対して、保母の数は、二名で、調理師及び嘱託医がおらず、調理師の仕事は、保母が行っていた。これは、保母の数を満三歳に満たない幼児六人につき一人とする児童福祉施設最低基準(以下「最低基準」という。)三三条二項及び保育所には、調理師、嘱託医をおかなければならないとする同基準三三条一項に反するものであり、同園の勤務条件は劣悪である。

(二) 被告園のバス送迎システムは、非常に複雑なものであるうえ、保母は、午前午後とも各一時間ないし一時間三〇分にわたり、児童の保育を行いつつ右業務を行わなければならないため、これにより保母の肉体的精神的疲労が蓄積した。

(三) 被告園は、月子に対して、高畑園での主任保母としての業務やバス送迎の時刻表の作成など保母経験の少ない同人にとって不可能ないし困難な業務を命じた。高畑園での主任保母としての業務は、高畑園が全国でも有数の大規模保育園であること、高畑園の園長である被告二郎は、二俣園、本園の園長も兼ねているところ、右三園はそれぞれ二キロメートルも離れているうえ、被告二郎は、午前午後各二時間にわたり送迎バスの運転を行っており、園長の役割を果たすのはおよそ不可能であったことから、園長の職務に匹敵するほど重責を伴うものである。また、バス送迎時刻表の作成は、園児の顔と名前を一致させることが前提であり、事務的にも非常に複雑で、短期間では困難なものである。

(四) 二俣園での月子の労働時間は、同園の労働条件が劣悪であり、また、月子の仕事内容が過酷なものであったため、一日一一時間にも及び休憩時間もなかった。また月子は、帰宅後も夜一一時ころまで仕事を行っていた。

(五) 同園において、平成四年一〇月及び一二月には、それぞれ一五名中一名の保母が、翌年三月には一五名中八名の保母が、同年五月には一三名中八名の保母が、翌六月には一三名中二名の保母が退職したという異常な事態は、同園における保母の業務の過酷さを裏付けるものである。

4  被告園における業務と自殺の因果関係

月子は、被告園に就職した平成五年一月六日には、通常の健康な女性であった。ところが、前記3のような被告園における過酷な業務により、心身とも極度に疲労してうつ状態に陥った。その後仕事を離れて、一旦は回復状態にあり、再び保母として働くことを考えたものの、保母の求人があるのは被告園のみであったこと、同園が離職票をなかなか発行しなかったことから就職活動が進展しなかったこと、右離職票を受領するため同園を訪れたところ、離職票を職業安定所に持って行っても意味がない旨言われ、再度引き留めを受けたことなどから、挫折感を募らせ、自殺したものであり、月子の被告園における過酷な業務と自殺との間には相当因果関係が認められる。一般にうつ状態における自殺は、社会復帰の要求が生じると同時に、劣等感、罪悪感、挫折感が強く、気分の変動が激しい回復期に多いとされているところ、月子の自殺は回復期になされたものであり、正にこの典型例である。

5  被告らの過失

(一)(ママ) 被告一郎、同雪子及び同二郎は、それぞれ被告園が設置、運営する本園、二俣園、高畑園の理事長、副理事長及び園長であるから、各園の保母や職員を適正に配置する等、保母の客観的な勤務状況を整備すると共に、保母の具体的な業務内容につき、保母の経験、適性等からみて、過重な業務とならないように注意し、保母の心身の健康、安全を確保すべき義務を負う。しかるに被告三名は、二俣園における勤務条件が前記2及び3のように劣悪なものであったのであるから、調理師の採用、保母の増員、休憩時間の確保、バス送迎システムの簡素化といった勤務条件の整備を図るべきであったにもかかわらずこれを怠り、また、平成五年四月からの月子の業務についても、月子の経験等を考慮した業務を命ずべきであったのにこれを怠り、前記2及び3のように月子に不可能ないし困難な業務を命じた。その結果、月子はうつ状態に陥り、自殺した。また、被告園は、営利を追求する余り、園の方針として月子に前記のような過重な業務を遂行せしめたものであるから、被告らは、民法七〇九条、七一九条により、不法行為責任を負う。

6  損害

(一) 逸失利益

月子は、平成五年一月から三月まで被告園において雇用され、合計四二万五七一四円の給与の支払を得たが、同年一月から一二月まで雇用された場合の推定給与は、一八九万六一四九円である。月子は死亡時二一歳であったから、二一歳から六七歳まで稼働して最低でも年額一八九万六一四九円の収入は得たはずである。右収入のうち、生活費控除を三割と考え、中間利息の控除について二一歳から六七歳に対応する新ホフマン計数を二三・五三四として計算すると、月子の逸失利益は三一二三万六七七九円となる。原告らは、この逸失利益の損害賠償請求権を各二分の一宛相続した。

(二) 慰謝料

原告らそれぞれにつき、一二〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費用

原告両名は、月子の死亡により、葬儀費用として一二〇万円の支出を余儀なくされ、各六〇万円の損害を受けた。

(四) 弁護士費用

原告ら両名は、原告ら訴訟代理人に本件損害賠償請求手続を依頼したが、その弁護士費用は、原告ら各人につきそれぞれ三〇〇万円を下らない。

7  よって、原告らは、被告らに対して、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して各三一二一万八三八九円及びこれに対する訴状送達の翌日である平成六年五月九日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は全て認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実のうち、二俣園が平成四年四月一日現在で二歳に達した幼児を保育していたこと、園児数は一八名であったこと、保母の数は、月子を含めて二名であり、調理師がいなかったため、その仕事は保母が行っていた事実は認める。月子が帰宅後も仕事を行っていた事実は不知。その余の事実は否認する。保母の勤務時間は、一日八時間(九時間中一時間は休憩時間)を原則としていた。

(三)  同2(三)の事実のうち、同月七日、被告二郎及び被告雪子が月子に対し、同年三月三一日で高畑園の主任保母を含むほぼ六名全員が退職すること、同年四月から保育経験のない新任保母五名がクラス担任をすることを告げたことは認めるが、その余の事実は否認する。被告園が、月子に頼んだのは、主任保母の仕事ではなく、クラス担任を持たない園の責任者としての仕事であり、さほど困難な仕事ではない。月子にこの仕事を頼んだのは、四月からの高畑園での勤務予定者は、月子以外はすべて新卒の保母経験のない者であるのに対して、月子は、二俣園での三か月の実務経験及び同園で勤務する以前に保育経験を有したからであり、被告らも月子に協力していく予定であった。

(四)  同2(四)の事実のうち、高畑園での実質的な引継ぎは、同年三月二九日から三日間行われたことは認めるが、その余は否認する。

(五)  同2(五)の事実のうち、月子が平成五年三月三一日に入院したこと、入院により被告園を退職することになったことは認め、月子が同年三月末には、まともに仕事ができるような状態ではなかったことは否認する。その余は不知。

(六)  同2(六)の事実のうち、月子が、平成五年四月一日、退院したこと、同月中旬頃、被告園を訪れ、給料の未払分を受領したこと、その際、同園からもう一度働くよう引き止められたことは認め、その余の事実は否認する。

(七)  同2(七)の事実のうち、月子が、平成五年四月二七日、離職票を受領するため被告園を訪れたこと、その際、被告雪子が離職票を持参しても雇用保険は出ないと言ったこと、月子が、同月二九日、縊首の方法により自殺したことは認め、その余の事実は否認する。

3(一)  請求原因3(一)の事実のうち、二俣園が二歳児クラスであったこと、園児数が一時保育児一名を加えて一九名であったこと、保母の数は二名で、調理師、嘱託医がおらず、調理師の仕事を保母が行っていた事実は認め、その余の事実は否認する。月子が勤務を開始した平成五年一月六日現在の二俣園の園児一八名中一一名が既に三歳に達していた。そして、うち一五名の園児の保育時間は午前七時三〇分から午後六時まで、一名の保育時間は午前八時三〇分から午後四時三〇分まで、一名の保育時間は午前八時三〇分から午後三時まで、一名の保育時間は午前九時三〇分から午後四時三〇分までであるから、最低基準に照らしても保母の員数にかけるところはない。

(二)  同3(二)、(三)の事実は否認する。

(三)  同3(四)の事実は否認する。保母の勤務時間は、一日八時間(九時間中一時間は休憩時間)を原則としており、残業があったとしても一日一時間にも満たないものである。

(四)  同3(五)の事実のうち、原告ら主張の保母の退職があった事実は認め、その余の事実は否認する。

4  請求原因4及び5の事実は、いずれも否認する。

5  請求原因6の事実のうち、(一)の事実は認め、その余の事実は否認する。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりである。

理由

一  事実欄に記載した当事者間に争いがない事実、証拠(<証拠・人証略>(いずれも後記採用しない部分を除く。))及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  月子の身上、経歴等

月子は、昭和四六年五月二九日に生まれ、父原告太郎、母同花子、兄二人の五人兄妹で育った。月子及び同人の家族に精神病、神経症に罹患した者はいない。

昭和五九年三月、加古川市立加古川小学校を卒業し、同六二年三月、加古川市立加古川中学校を卒業し、平成二年三月、兵庫県立東播磨高等学校を卒業し、同四年三月、松蔭女子学院短期大学家政学科を卒業した。

月子は、松蔭女子学院短期大学に入学した平成二年四月から同四年一二月まで、加古川キリスト教会が主催する子供を預かる保育サービスにボランティアで参加した。右ボランティアには、短大在学中は週二、三回、卒業後にはもっと頻繁に参加した。また、同二年八月から同四年一二月まで、二歳前後の子供を預かるアルバイトを週に一、二回行った。月子は、右のような活動を通じて、保育という仕事に強く惹かれるようになり、同四年九月には保母資格を取得した。そして、同年一〇月から三週間に渡り、高砂市立米田第二保育園においてクラス担任を持つ保母のアシスタントをした。

2  被告園の組織及び月子の採用

被告園は、当時、本園、高畑園、二俣園及び加古川園の四つの無認可保育所を設置、運営していたが、加古川園はバス送迎の待合所とされていた。平成五年当時本園は零歳及び一歳児を、高畑園は三歳から五歳児を、二俣園は二歳児をそれぞれ保育し、右三園の園児の合計数は二〇〇名程度であり、全国でも有数の大規模無認可保育所であった。本園、高畑園及び二俣園には、それぞれ理事長、園長、副園長のポストがあったが、理事長は被告一郎が、園長は被告二郎が、副園長は被告雪子がそれぞれ兼務していた。理事長、園長及び副園長の役割分担については、経理に関しては主に副園長が行うといった程度の定めはあるものの、それ以外の権限分配については未分化であった。また、園長は、保育や行事の立案、渉外事務等のほか、送迎バスの運転手もしていた。

月子は、平成四年一一月下旬ころ、被告園の定期求人票を見て被告園に架電した。そして、被告らによる面接を受けて、同年一二月、被告園に採用が決まり、翌年四月から高畑園で勤務することとなった。しかし、その後、二俣園の保母が一人退職したため、平成五年一月六日から同園で勤務し、同年四月から高畑園で勤務することになった。

3  二俣園における保母の勤務時間及び勤務内容等

(一)  二俣園は、平成四年四月一日現在で二歳に達した児童を保育していた。月子が勤務を開始した平成五年一月当時、園児数は一八名であったが、うち七名が二歳児で、一一名が三歳児であり、この他に一時保育児一名がいた。保母の数は、月子と濵岡保母の二名であり、調理師がいなかったため、給食の買い物、調理、片付け等の仕事も保母が行っていた。右給食の献立は、加古川市の保健所からもらった加古川市立保育園の献立表に従って決定し、また、月、水、金曜日の園児の昼寝中に、保母のうち一人が二日分をまとめて食材を購入していた。

被告園の定めた二俣園での保母の勤務時間は、早出の場合は、午前七時二〇分から午後五時三〇分まで、遅出の場合は、午前八時三〇分から午後六時までとなっていたが、早出の保母も遅出の保母も午後六時三〇分くらいまで仕事していた。

(二)  二俣園での保育時間は午前七時三〇分から午後六時までであるが、早出の保母は、午前七時二〇分までに出勤し、直ちに給食の準備を始めると共に、午前七時三〇分から登園してくる八名程度の園児の保育を行っていた。遅出の保母は、午後(ママ)八時三〇分までに出勤した。

午前八時四〇分ころ及び午前九時ころには、巡回してくる二台の園児送迎バスの園児の乗り降りの仕事を行った。被告園では、バスの送迎システムにつき、児童を父母に最寄りの園に連れてきてもらい、園の方でその児童を保育する園にバスで送迎する園間送迎と、送迎バスが児童を自宅若しくは園近くまで迎えに行き、その児童を保育する園に連れて行く個人送迎、グループ送迎とがあった。そのため保母は、二俣園で乗り降りする〇歳から五歳までの三〇名程度の園児について、二俣園で保育する園児を受け入れつつ、他園で保育する児童をバスに乗り込ませなければならなかったため、各園児の顔と名前を一致させ、乗り降りに間違いがないように登退園簿ノートを使ってチェックしていた。この業務は主として遅出の保母が担当したが、早出の保母も給食の調理が済み次第手伝っていた。給食の調理は、通常、午前一〇時前位に終わった。

(三)  午前一〇時ころから、園児の排泄、手洗いを済ませておやつを食べさせ、その日の目標となる遊びを中心とした園庭遊び、リズム体操といった設定保育を行い、午前一一から給食の時間となった。給食の際、調理を担当した保母が給食の配膳を行い、その間、もう一人の保母が園児の排泄、手洗いを行った。午前一一時ころから給食を食べ始め、一時間くらい時間を掛けて給食を取った。その間、保母は園児の食べ方の指導等を行った。園児が食事を取った後、園児の排泄、手洗い、着替えを行い、午後〇時ころから午後二時三〇分ないし三時ころまで園児の昼寝の時間が入った。この間、二人の保母は、交替で保育日誌を付けたり、給食の食器の後片付け、月、水、金曜日には、給食の材料の買い出しをした。忙しい時には、仕事が終わった後に材料の買い出しに行ったり、持参したお弁当を一〇分から二〇分位で食べなければならないこともあった。午後三時ころには園児の昼寝が終わり、園児の排泄、手洗いを済ませて、おやつを食べさせた。

午後三時五〇分ころから午後五時ころに掛けては、園児送迎バスが四回巡回してきて、園児の乗り降りの仕事を行った。この際、他園で保育していた児童で園間送迎により二俣園に移動する子を受け入れたため、午後四時以降、父母が児童を迎えに来るまで、三〇名程度の〇歳から五歳までの児童を二人の保母が保育することになった。最後に父母が児童を迎えに来る時間は、午後六時ないし六時三〇分になった。

その後、園の掃除、戸締まりをして、午後六時三〇分ころに仕事が終わった。

(四)  その他の保母の業務として、毎月一回、金曜日の午後七時から午後九時ないし一〇時ころまで行われる職員会議と、月一回程度の日曜保育があった。この日曜保育は、保母一人で、〇歳から五歳までの児童六、七名を、午前九時から午後六時まで保育するというもので、児童の食事も保母が調理した。

(五)  なお、被告園において、平成四年一〇月及び一二月には、それぞれ一五名中一名の保母が、翌年三月には一五名中八名の保母が、同年五月には一三名中八名の保母が、翌六月には一六(ママ)名中二名の保母が退職している。

4  被告園における月子の勤務状況

(一)  月子は、被告園に採用後、二俣園において、前記3で認定した保母の仕事を行った。

(二)  また、平成五年(以下、年の記載がない場合は、平成五年)二月一二日ころ、被告二郎や被告雪子から、三月三一日付けで高畑園の主任保母を含む保母六名全員が退職すること、高畑園は三歳児から五歳児までの一五〇名程度の幼児が保育され五クラスに分けられているが、四月から五クラスとも保育経験のない新任保母がクラス担当をすること、月子は四月から高畑園における責任者としての仕事とコンピューターを利用した保育の担当をすることを告げられた。右責任者としての仕事の内容は、園内の連絡等、事務的な仕事であり、クラス担任は持たなかった。また、右コンピューターを利用した保育の内容は、各クラス週二回、一回二〇分のコンピューターソフト「学ぶ君」を使った授業を行うことであった。月子は、右業務を引き受けることに消極的であり、一旦は、これを断り、被告雪子に対して高畑園においてクラス担任にしてもらうことを申し入れたが、園長である被告二郎が協力するので引き受けて欲しいと言われたことから、右業務を承諾した。

(三)  月子は、自家用車で通勤していたが、早出の日は、午後(ママ)六時五五分に家を出て、午前七時二〇分ころから仕事を始め、遅出の日は、午前八時ころに家を出て、午前八時三〇分ころから仕事を始め、午後七時ないし八時ころ帰宅するという生活を送っており、一日の労働時間は一〇時間ないし一一時間程度であった。

また、日曜日も、二月七日は入園説明会、三月一四日は年間指導計画の打ち合わせ、同月二八日は日曜保育のため出勤したが、その他の日曜日についても被告園から指示はされていないが、出勤することも多かった。

(四)  三月二日に園全体のお遊戯会が行われたが、二俣園ではお遊戯会のための練習を二俣園や会場となる市民ホールに移動して行い、また月子はそれに必要な小道具類を作った。同月一四日には、年間指導計画の打合せがあり、月子は四月以降の高畑園の責任者として、デイリープログラムやコンピューターによる年間指導計画を立てた。また同日被告二郎からコンピューターソフト「学ぶ君」の操作について実地指導を受けた。同月二三日から四月一〇日まで被告園は春休みとなったが、二俣園の園児は四月からの高畑園での保育に慣れるため、三月二三日から高畑園に移動し、月子も同行して、高畑園において保育を行ったが、環境や保育内容の変化に当初園児も保母もとまどった。

当時の主任保母であった高畑園の橋口は、同日までに高畑園の引継書(<証拠略>)を書いて月子に渡していたので、月子は、勤務の傍らや勤務後、右引継書を読んで勉強した。

同月二八日、月子は日曜保育のため出勤し、六名の園児の保育を担当したが、かなり疲れた様子であった。保育日誌も同日までは書いたが、それ以降は書かなかった。

同月二九日から三日間の予定で新任保母を交えて高畑園の引継ぎが行われ、橋口作成の前記引継書に基づいて引継ぎがなされた。

(もっとも原告らは、同月二九日月子は被告二郎から園児のバスの送迎の時刻表作成を命じられた旨主張し、原告太郎もこれに副う主張をするが、右供述は伝聞であるうえ、被告二郎の供述によれば、時刻表作成は園全体を把握していないとできないこと、右時刻表は園長である被告二郎において作成していることが認められ、かかる事実に徴すると原告太郎の前記供述は採用できない。)

(五)  同月三〇日には、午後六時ころから、二俣園で、午後七時ころから本園で、園長及び四月からの各園の責任者との間で、打ち合わせが行われたが、この際も、月子は疲れた様子であった。園長を交えた打ち合わせは、午後九時三〇分ころ終わったが、その後も各園の責任者は残っており、月子は午後一一時三〇分ころに帰宅した。帰宅した月子はぐったりした状態であり、原告花子に付き添ってもらって床に就いたが、殆ど眠れなかった。

5  月子の退職とその後自殺に至るまでの経緯

(一)  月子は、翌三一日、加古川市内の松本病院に入院したが、相変わらず、ぐったりした状態であり、自分から余り喋らなかった。しかし、意識状態は良好で、血液等の検査結果も正常であり、診察した医師は、月子の症状を、精神的ストレスが起こす心身症的疾患と診断したが、月子の症状がうつ病若しくはうつ病に似た状態であるとは考えなかった。

この入院により、月子は、被告園を退職することとなった。

(二)  月子は、翌四月一日、退院し、自宅療養するようになった。その後、元気を取り戻し始め、四月四日ころ洗礼を受ける決意をし、同月一一日に洗礼を受け、同月一五日に原告らに対して、感謝の手紙を書いた。右洗礼以降の月子の生活は、ほぼ正常の状態であった。また、このころから新しい保育園探しを始めるようになった。

月子は、同月一〇日、被告園を訪れ、給料の未払分を受領した。その際、被告雪子は、もう一度働くよう引き止めたが、月子は、これを断った。この際、月子は、以前と変わらない様子で、ごく普通だった。

月子は、同月二七日、被告園を訪れ、被告雪子から離職表(ママ)を受領した。この際も月子は、以前と変わらない様子だった。被告雪子は、月子に対し、離職表(ママ)を職業安定所に持って行っても雇用保険はもらえない旨告げたが、月子の辞意が固いことから、再度引き止めることはしなかった。

(三)  月子は、帰宅後、食事中、口を利くこともなく、部屋に籠もってしまった。翌二八日も原告らと余り言葉を交わさず、同月二九日午後六時ころ、原告らの留守中に家族への遺書を残して、縊首の方法により自殺した。

6  以上の事実を認めることができ、これに反する(証拠・人証略)は前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を左右できる証拠はない。

二  右認定事実によれば、二俣園における保母の業務は半数以上が既に三歳児になっていたとはいえ、園児一九名に対して、保母が二名と少ないうえ、給食の食材の購入や調理の仕事も兼ねていたこと、月子の一日の労働時間は、一〇時間ないし一一時間に及び、ゆっくり昼食を取れない時もあったこと、月子は日曜日に出勤する機会も多かったこと、被告園において、平成四年一〇月及び一二月には、それぞれ一五名中一名の保母が、翌年三月には一五名中八名の保母が、同年五月には一三名中八名の保母が、翌六月には一三名中二名の保母が退職していることから、被告園における月子の仕事内容は、比較的厳しいものであったと考えられる。

しかも、月子は二月中ころに、被告二郎から高畑園の責任者となることや園児に対しコンピューターソフトを用いた指導をすることを告げられ、三月一四日には四月以降の高畑園のデイリープログラムやコンピューターによる年間指導計画を立てていること、三月二三日には二俣園から高畑園に園児と共に移動し、慣れない高畑園での保育に携わっていたこと、また、同月二八日は日曜保育のため出勤し、同月二九日からは新任保母を交えて高畑園の引継ぎを行っていたもので、月子は、同月末には、新しい仕事に対する不安、責任感、環境の変化等で精神的にも肉体的にも疲労していたことが容易に推認できる。

しかしながら、月子の入院期間は僅か一日であり、診察した医師も、月子の症状を精神的ストレスによる心身的疾患だとし、うつ病若しくはうつ病に似た症状であるとは考えなかったこと、その後月子は何らの治療も受けていないこと、月子はその後次第に元気を取り戻し、四月一一日に洗礼を受けてからは月子の生活状態は正常となり、洗礼の前後に書かれた感謝の手紙(<証拠略>)からもうつ状態を窺わせるような記載も認められないこと、月子はその後就職活動を始めていること、退職後被告園を訪れた際も、勤務していたときの状態と変わらない様子であり、精神的肉体的疲労からかなり回復していたと認められ、右事実に月子の被告園における勤務は僅か三か月足らずであること、月子が自殺したのは退職後約一か月後であること等の事実に鑑みると、月子の被告園における業務と月子の自殺との間に因果関係は認められないというべきである。

(原告らは、月子の被告園での業務と自殺との間に相当因果関係があると主張し、<証拠略>には右主張に副う記載があるが、右意見書はいずれも原告ら主張の事実のみを前提としたものであるから、これによっても前記認定の結論は左右されない。)

三  結論

以上によれば、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 將積良子 裁判官 桃崎剛 裁判官下村眞美は、転官につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 將積良子)

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